.oO(monologue)

毒吐く独白(ノン)フィクション

I see you, you see me Watch you blowin' the lines When you're making a scene

今回はメモ書き断片集スタイルの雑記。なんにもまとまっていないです。

リモートワークが推し進められている現状、合う人、合わない人ってそれぞれいるんだなぁとSNSや報道を見ていて感じる。自分は専ら"合う派"で、去年就活と並行しながらゼミに参加するために、ゼミ室のiMacSkypeを入れて全画面に東京にいる自分の顔を映す、ってのをやったりとか、その他色々なプロジェクトでオンラインミーティングを経験しているだけあって"慣れ"ている部分も多い気がする。

リモートで悩む部分の一つに、会話の部分がかなりでかい気がしていて。誰かが声を出すとそれが常に上がってくるし、そういう意味ではレイヤー分けがされてないから、複数人で聞けるトランシーバーみたいなツールでしかまだないよね~ってのはわかる。最近の大体のそういうツールは一緒にチャットとかもできるから、チャットも使ったりとか個別にDMしたり、とかである程度緩和はされるだろうけれども、タイピングとか入力が足枷になればそれも不自由か。うーん。

なんかこういう向き不向きの話を考えていると、この分だからか「映画は映画館で観る派か、家で見る派か」みたいなところにも派生してくるんじゃないかと勝手に気持ちだけフォーク*1させている。
自分は映画は映画館で観る派。家ではあんまり深くのめり込んで見れない。というか、友人知人らと映画を一緒に観に行くのもそんなに得意な方じゃない。全然嫌いじゃないけど。得意と嫌いは別問題問題。
なんでかって考えたときに、どんだけ集中しているか、に自分の結論は収束していて、ある種やっぱりある程度の強制的不自由というか、縛られているというか、観ている2時間強は「今何時なんだろう?」って腕時計のランプを点ける、ぐらいしか他に余計なことを考えられない環境ってのが良いんだと勝手に思っている。だから新しいタイプの人も出てきてて、これも時代の転換期なんだろうな、と(マナーは一旦置いといて)

家で映画…っていうのは、見たいものに関してはしっかりと準備して見れるんだけれども、(これはアルバムを聴くときも同じなんだけれども)時間を空けて、先に手洗いは済ませておいて*2、ってことまではやりたいけど、やっぱり目が泳いだり邪念が多かったり、なんだろうな~って。特に、止めようと思えばポーズできちゃうし、飛ばそうと思えばスキップできちゃうから、さっきの新人類YouTube世代の話にまで戻ってしまう。これはわかっちゃいるけどやめられない問題。地上波でやっているものも同じで、CMに入ってしまうと気持ちの緩急がありすぎる。
もっと言うと途中で話をかけられたりするのも難しくて、これがさっきの友人知人らとの劇場に当たる。特に、自分は人がいるとその場で何らかのアクションが起こった瞬間に共有してしまいたくなる。彼女もそういう派で、逆に2時間経つと時系列がバラバラに、インパクト順にソートされてしまうので、できるだけその場で共有したいと。わかる!が作品とは無関係なレビューとともに観ている気持ちにもなる、でも「ここはアレのパロディで…」っていうわっかりにくいのはその場でしか説明できなかったりもする。そしてそういうやつこそ特に言いたくなっちゃう。め~ちゃくちゃジレンマ。

タイトルはDaryl Hall & John OatesのPrivate Eyesより。

地元のもうなくなってしまった東宝映画劇場では、始まる前と後にはこの曲が流れていた。あとはa-haのTake on Meとかも。これから映画観るってときに執拗に見る人の歌流すかね。

メモ書きはまだもうちょい続くけれども長くなりそうなので今回はここまで。
あと、ずっと悩んでいたうまく文が書けない問題、発想を転換して、普段かける文章でとりあえずガツガツ書いてから構成、校正すればいいんじゃねってことにやっと気づけた。ミスるときはだいたいプロセスが逆なことが多いんだよな。一個前に戻って見つめるのすげー大事ですね。

*1:分岐

*2:あとこれはどうでもいいですが自分は劇場で映画を観るときはカルピスかカルピスソーダしか飲みません、物心がついたときからバカみたいにずーっとやってます